師の言葉は弟子にとって「神の啓示」にも等しい。
暗夜を照らす希望の光だ
「希望」を信じた時初めて人は努力できる。
苦難を耐え、ひたむきに前へ進める
「明日」のために
拳奴死闘伝セスタス 第二章 第25話 託された生命 より
自主トレをしない患者さんは「やる気がない」のでしょうか?
理学療法士として患者さんと向き合う中で、
「自主トレのメニューを渡したのに、全然やってこない」
「本人にやる気がないなら、私たちにできることは限られる」
こんなことを思ったりしたことはないでしょうか?
「自己管理は患者さん自身の責任」
という考え方は一見すると、これらは患者さんの「自律性」を尊重した態度に見えます。
でも本当にそうでしょうか?
古代ローマの剣闘士を描いた漫画『セスタス』を読んで
本の中で特に印象に残った言葉です。
・師匠が弟子に対して示すべき姿勢=「希望を信じた時、初めて人は努力できる」
・暗夜を照らす希望の光がなければ、人は一歩も前に進めない。
これは格闘技の師匠と弟子の話です。
これをとっても無理やりに私たちの臨床に置き換えてみましょう。
「やらないのは本人の問題」という優しい放棄
患者さんが自主トレをしない理由を「本人の問題」と割り切る。
これは確かに、患者さんの意思決定を尊重しているように見えます。
でも実は、こう考えることで私たち自身が楽になっているだけではないでしょうか?
本当に相手の可能性を信じ切っているなら、簡単には諦めません。
– なぜこの運動が必要なのか、心から理解してもらえているか?
– 生活の中で実行可能な方法を、一緒に考え抜いたか?
– 小さな成功体験を積み重ね、「できる」という希望を灯せたか?
– 挫折しても、再び立ち上がれるような関わりができているか?
「自主トレをしない」という現象の背後には、痛みへの恐怖、理解不足、生活環境の制約、過去の失敗体験など、さまざまな「暗闇」が横たわっています。
その暗闇の中で立ち尽くしている人に対して、「歩くかどうかはあなた次第」と言って立ち去るのは、本当の意味での尊重ではありません。
セラピストが握る「希望の光」
私たちセラピストの役割は、単に知識や技術を提供することではありません。
患者さんが「明日」を信じられるように、暗夜を照らす希望の光となることです。
そのためには優しく寄り添うだけでなく、時には厳しく、でも愛情をもって「あなたならできる」と信じて関わり続ける。
一度の説明で伝わらなければ、言葉を変え、方法を変え、何度でも挑戦する。
患者さんが元の生活に、あるいは新しい可能性のある人生に戻れるよう、最後まで伴走する。
患者中心=患者さんの可能性を信じ抜くこと
本当に患者中心のサービスとは、患者さんの「今の選択」を無批判に受け入れることではありません。
患者さんの内側に眠る可能性を、私たち以上に信じることです。
自主トレをしない患者さんに対して「やる気がないんだな」と諦めるのではなく、
「この人の中には、まだ私が灯せていない希望があるはずだ」と考える。
その姿勢の違いが、臨床の質を決定的に変えていきます。
私たちは、患者さんが努力できるように「希望」を届ける存在でありたい。
暗夜を照らす、希望の光でありたい。
そう考えてみると、アイデアが浮かんでくるかもしれませんね。
この記事が、明日の臨床を少しでも変えるきっかけになれば幸いです。


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